TAKUMI HIRAYAMA

「ハカイオウとムゲンテイの戦い」

2024/粘土、クレイアニメーション/1分14秒

「モンスター大戦記ハカイオウ」

2020/粘土、兄の絵、兄との会話、サイズ可変

幼い頃、兄は粘土のついた指先をつかって、安心した微笑みを浮かべながら、ゆっくり僕のほおをさすることがあった。この行為を「シュリュー」というらしい。「シュリュー」をする相手は決まって僕だけで、他の人には絶対にやらなかった。兄はその後かならずその手を使って絵を描き、粘土で何かをつくっていた。「なんで他の人にはシュリューしないの?」と彼に尋ねたら「ほっぺがつめたいから」という決まり台詞があった。

慌しい生活にちりばめられた出来事の全てが、知らない内に大陸のように繋がって、人の関係性を浮かび上がらせる。そこには目には見えない‶境界”があって、みんな目を向けようとする術を知らないらしい。 言葉だけのコミュニケーションをはかっても、イライラした顔や態度には、兄のような「シュリュー」が封印されてしまう。

兄が描き進めている絵「モンスター大戦記ハカイオウ」を幼い頃と同じように対話を進めながら、彫塑によって立ち上がらせる。それは僕が無意識的につくり出してしまっているかもしれない兄との“境界”に触れる試みだ。同時に兄の創造している絵の世界を三次元化して、他者が兄の世界を多角的に触れることができるようになる挑戦だ。支援や共作でもない生活の延長にある僕なりの「シュリュー」だ。

僕のほおには兄の手の感触が沁みこんでいて、たまにくすぐったくなるような、でも安心するあたたかい感覚を覚えている。今度は僕が「シュリュー」をする番だ。

札幌駅前通地下歩行空間(憩いの空間 / 北1東)出入口7 と9 の間 北1西3

平山匠

TAKUMI HIRAYAMA

1994年東京都生まれ。東京造形大学彫刻専攻卒業。東京藝術大学大学院美術教育研究室修了。現在は独自の体験を基に物語をつくり、粘土のオブジェ・インスタレーションを主に制作。ものをつくること、そこに他人が関わること、そしてその場に生じる言語領域からはみ出したコミュニケーションを大切にしている。2021年より多目的なスペース「アトリエ・サロン-コウシンキョク(交新局)」を東京品川の下町で運営中。

〈主な展覧会〉

  • 「Eye-Cloud-I」個展/Pacifica Collectives/東京/2023
  • 「BankART Under 35」BankART Station/神奈川/2023
  • 「踏み倒すためのアフターケア」3331 Arts Chiyoda アキバタマビ21/東京/2022
  • 「越後妻有 大地の芸術祭 2022」ナカゴグリーンパーク/新潟/2022
  • 「ザ・ビッグアンドハードネス」BLOCK HOUSE 、ソフトハウス/東京/2021
  • ゲンロン新芸術校5期金賞受賞者展示 平山匠×ユゥキユキ「三すくみんぐ」/元映画館/東京/2021

Q&A

作品を作るときの源はなんでしょうか?

生活の中で突然降ってくるアイデアがあって、それを現実にする。創作の源について考えましたが、最近はそれくらいシンプルなことのように思います。けれど、降ってくるには理由があるように思っています。例えば、生きていて息苦しさを感じること、今まで自分が継続して行なってきた事の地続きにある事など、様々な理由があって降ってくる。それをつくる。当たり前なことですが、その連続に源の本質があるのかと。

街中で作品を展示するにあたり、意識したり、気にかけたことことはなんでしょうか?

今作のテーマは、自分の家族である兄と自分自身のこと、障害者と健常者という対立している考え方を取り扱っています。キャッチーな兄の絵を、粘土で立体化させている今作は、親しみやすさとセンシティブな部分の両面あるように思っております。その為、パブリックな場である札幌駅で展示する事によって、自分の表現が、多くの人達にどのように伝わるのか気になっております。

最近、気になっていることは何ですか?

雲は柔軟に形を変え続ける。浮遊している塊の雲は、個人的に粘土に見える瞬間があります。様々な要素に親近感があって気になっています。特撮は、幼少期に友達や兄弟、皆んなで観ていて、僕らの心を共有する一つのコンテンツでした。また社会について、欲望について、正義と悪についてなど、非常に普遍的な問題やテーマを取り扱っている作品が多く、気になってリサーチしております。

今後、挑戦してみたいことを教えてください。

現状を維持させながら、少しずつ色々な場所で、色々な作品を展示していけたら、幸せです。多くは求めません。